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半世紀を生きてきて思うことは、歳とともに世の中の移り変わりが目まぐるしく感じる

ことだ。そして、忘れっぽくもあるし子供の頃の思い出、情景をまるで昨日のように

思い出したりもする。

20年以上も前に亡くなった父親もただのサラリーマンだったが気骨もユーモアも、そして風流も持ち合わせた人だった。

幾許かの実家の庭には里山のように拵えた楓や蜜柑や柿、梅や五葉松があって何処からかの河原にあったような石がいくつもあった。

草むしりを日曜日に手伝うのは億劫だったし、木々の剪定などやる気も起きなかった。

夏になれば、日曜の昼飯はそうめんと決まっていて裏庭に生えていた茗荷や山椒の葉を

薬味に入れて食べるのは苦いけど旨かった。

晩を済ませて、月夜の晩だと夜空を見上げながら煙草をくゆらす親父の背中があった。

正月を初めとして、四季の折々に触れて庭から採った草木や花で床の間に活けるのも

中々趣があって感心したが・・・。

 

あれから、何十年経つのだろう。

 

最近、清澄庭園のそばを通り過ぎていくうちにある酒屋さんの軒先で不思議な盆栽を

見つけて立ちすくんだ。いや、最近ではなくもっと以前にも視界に入っていたのかも

しれない。ただ、そのときは何も感じず気づかなかっただけだ。

 

 

その銀杏の盆栽に見とれてから、日々の行動半径の中で園芸や盆栽を扱う場所や店に

足を運ぶようになった。

街路樹のある公園や、神社で散策を続けた。

夢中になってあの独特のにおいのある銀杏を夢中で拾いそのいくつかを冷蔵庫で冷やし発芽する頃合を見計らって植えてみようかと思う。

2週ほど前に、日曜日の散歩コースのちょっと先で盆栽専門の販売コーナーを見つけて

嬉しくなった。あれこれ、目移りしたが結局小さめの黒松を手に入れた。

今まで、こんな好みに自分は無縁とは言わないまでも若い頃は縁遠いと思っていた。

だが、本やらネットやらで専門的なこともできれば覚えられたほうがいいけれど

枯らさずに自分なりに成長を追える姿を楽しむのは自らに小宇宙を見出したようで

なんとなく楽しい。

月光を楽しんだ父の背中を思い出しながら悦に浸るのも悪くはないだろう。

この目まぐるしく世知辛く軽薄な世の中で。